tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

懐かしきブレトンウッズ体制

2010年11月20日 16時09分40秒 | 国際経済
懐かしきブレトンウッズ体制
 半ば忘れられつつあるのかもしれませんが、1944年、第二次大戦の終了の直前、連合国側はアメリカはニューハンプシャー州のブレトンウッズに集まり、戦後の経済体制を検討しました。

 そこで固められたのが、GATT(今のWTO)とIMF,さらに世界銀行というシステムを使って、世界の各国々が、公正なルールの中で、互いに切磋琢磨して経済発展できるような、よき世界経済体制を作ろうという理想に燃えたブレトンウッズ協定でした。

 第二次世界大戦は、世界中に大きな惨禍をもたらしました。そうした深刻な戦争の原因が、為替切り下げ競争に代表されるような、自国本位の、当時使われた言葉でいえば近隣窮乏化策によるところが大きいと考えられていたわけです。
 人類は大きな惨禍を経験すると、素直に真面目に反省し、真摯に考えるようになり、正しい、良い結論を出すようです。

 ベンジャミン・フランクリンではありませんが、世の中は、真面目にコツコツと働いたものが、きちんと良い結果にありつけるというのが正常な状態で、基本的にはそうした原則が貫徹するのが最もいい社会でしょう。
  ドルが 「1オンスー35ドル」という形で金にリンクし、為替の固定相場制をとるこのブレトンウッズ体制は、まさにそれを目指して設計されたものだったわけです。

 もちろん人間社会のことですから、国レベルでも、事、志と反することもあり、失敗することもあります。そうした場合には、IMFや世銀が、救済の手を差し伸べると同時に、その国の経済を健全なものに戻すための指導監督をすることになります。

  このブレトンウッズ体制は、1960年代までは極めて効果的に働き、戦後世界の急速な経済回復と発展をもたらしたと評価されています。
 当時日本でも、GATT加盟(1955年実現)、IMF8条国移行(1964年実現)は「坂の上の雲」のような目標であり政界、経済界の相言葉だったことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

 しかし残念ながら、戦後25年経った1971年にこの体制は崩壊します。それは、戦後、「バターも大砲も」といわれた巨大な経済力を持ち、国際収支大幅黒字国だったアメリカがその放漫な経済運営から赤字国に転落したことによります。
 いわば「言いだしっぺ」で「リーダーシップ」を取っていたアメリカが、健全経済のルートを踏み外したわけで、ドルの金兌換の停止、その後のドル下落 がここから始まることになった1971年の「ニクソンショック」という事態の発生です。

 コツコツと真面目に働く日本にとっては苦難の予兆でした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。